【監督・三木康一郎】原作、役者、制作、世間すべてを見渡す瞳に映る、それぞれの〈色〉

監督・三木康一郎

【監督・三木康一郎】
原作、役者、制作、世間
すべてを見渡す瞳に映る、それぞれの〈色〉

指で四角を作って覗き込んでみる。枠の中に在る世界は生命力を注がれたかのように瑞々しく動き出し、枠の外の世界は音を消したかのように静かに佇む。私たちが観ている“ドラマ”や“映画”は枠の中の世界の息吹。日々、〈自分〉を演じて生活を営む私たちは別の誰かが演じる世界に涙し、笑い、怒り、力を貰う。では、枠の外にはどんな世界が広がっているのか――?枠内から視線をずらした先にいた“監督・三木康一郎”。三木監督の言葉の端々から溢れていたのは、誰よりも冷静でプログラマチックな表現論でした。

監督・三木康一郎

監督・三木康一郎

PROFILE

1970年生まれ。2012年スクリーンデビュー。大人気マンガ『弱虫ペダル』の実写映画化など青春作品を手掛ける一方で、『ポルノグラファー』シリーズなどの妖艶でリアリティーのあるロマンス作品、『来世ではちゃんとします』シリーズの新たな時代のLOVEを描いたラブコメ、『トリハダ』シリーズのようなホラー作品、1990年代トレンディドラマの金字塔『東京ラブストーリー』を現代版としてリメイクするなど幅広い作品を生み出し続けている。ほか、1990年代後半に一世を風靡した「イライラ棒」を考案するなど、映画・ドラマだけでなくあらゆる分野で優れた才能を発揮する映画監督の一人。

三木康一郎 × 監督

僕がテレビ業界に入ったキッカケは21歳の時にテレビの制作会社のアルバイトを始めたこと。当時、何もせずにブラブラしていた僕を見かねて、同居人が「バイトしろ!」と求人誌を渡してきたんです(笑)。で、レストランと会社の雑用、制作会社の3つのアルバイトに応募をしたら、制作会社だけが唯一「明日から来てください」と言ってくれて。そりゃあ、すぐにでも働きたい身としては制作会社のアルバイトを選びますよね(笑)。その会社がバラエティー番組を制作している会社だったので、アルバイトを皮切りにバラエティー番組を作ることになって。その後、30代後半ぐらいの時にドラマを作り始めて、ドラマの延長で映画を作って…と、流れるがまま気づいたら監督になっていました(笑)。

アルバイトの選択が
運命の分かれ道だったんですね(笑)。

原作のあるものを
映像化されることも多い三木さんですが

ドラマや映画の原題はどのように選ばれるのですか?

僕自身が原作を持っていくこともありますし、そうではなく、制作会社さんから「この原作をやりたいんです」と提案されるパターンもあります。映画はある程度バジェットがあるものなので、そのバジェットにはまるようなものを選ぶ必要があるんです。なので「このぐらいの予算でできるものないかな」と、いろんな作品に目を配るようにしていますね。とはいえ常に漫画や小説をチェックしているわけではなく、作家の方や映画のプロデューサーから「これ面白かったよ」とオススメされたものをチェックすることが多いです。

監督・三木康一郎

なるほど!いち視聴者として
監督がどのように作品を選ばれているのか
興味があったんです。

「これをやりたいな」というものがあったとしても、その原作を映像化の企画として通すことが難しいんですよ(笑)。世の中にたくさんある原作の何を大事として、どのように企画に起こして送り届けるかが僕らの仕事の重要な闘いでもあるんです。

対、原作

原作ありきの作品を作る場合、最優先すべきは「原作者が何をどう伝えようとしているのか」ということ。原作があるということは、その原作が多くの人に受け入れられているという事実があるので、いろんなことをすべて置いておいて「この作品で原作者は何を言いたくて、どうしたかったのか」を原作者の気持ちになって考えます。なので、僕自身が原作を読んで考えた解釈はあまり信用しません(笑)。原作者の意図をしっかりと踏まえないと、映像化された作品を原作を知っている方が観た時に原作とのズレを感じてしまうじゃないですか。僕はそれがあまり好きではなくて。なので対、原作を映像化する際には“原作”と“原作者”を第一に考えるようにしていますね。

対、役者

役者に関しては、基本的に「自由にやってください」というスタンスです。映像化においてはビジュアルを原作キャラにどう寄せていくのかが大事なので、そこのビジュアルは合わせてもらいますが、役者自身が「原作や台本を読んでどう感じたか」という部分は彼らの考えを最重要視します。演じる人間が「良い」と思った芝居をしたほうが絶対に良い演技になりますし、良い作品にもなると思っているんです。

監督・三木康一郎
2020年公開の監督作品・映画『弱虫ペダル』の絵コンテ。なんとすべて監督直筆なのだとか。

三木監督は役者の方に
「このセリフについてどう思った?」など
よく問いかけるとお伺いしました。

その質問をする時は、役者の考えている“登場人物の感情が正解かどうか”を確認している時。要は悲しいシーンの撮影の時に「いまどう思ってる?」と聞いて「悲しいです」と答えたら、次はどう悲しいのかを深堀していく。そうやって僕と作品と役者の考えを合致させながら撮影を進めていきます。

現場でカメラが回るまでに
役者陣の想定される動きを何パターンか考えたりも?

そうですね。監督は映像も撮らないといけないので、動線に関してはある程度想定しています。で、用意していたパターンで来た時は「そのパターンね」と(笑)。先ほども言ったように、僕が監督をするからには原作を大事にしたいですし、役者を大事にしたい。正直、僕は僕自身のことは信じていないんですよ(笑)。だからこそ他の人の力を借りてどうするかをずっと考えているんです。もし現場で僕の想定していたこと以外の面白いことを役者が言ったら、なるべくそっちに変えたいんですよね。もちろん原作とのバランスがあるので、どこまで変えるのかはさじ加減が必要なんですけど。ただ、変えたいと思った時に何のパターンも考えていないと映像も流れも作れないじゃないですか。そういった意味でも、現場へ行く時は3つぐらいパターンをシミュレーションするようにしています。

監督・三木康一郎

それが監督と役者との信頼関係にも繋がるんですね。
そんな三木監督が自分の作品に出演する
“役者に求めること”って何ですか?

僕が役者に求めるのは準備と役に臨む姿勢です。正直それしか望んでいません。役への臨み方は役者それぞれなんですけど、現場へ来るまで、そのシーンを演じるまでの準備と姿勢に関しては重視しますね。言うなれば、現場でお芝居が始まって何をしようが、そこはあまり重視していないんです。役者がその人を演じるためにどんな準備をしてきて、どんな風にそのシーンに向き合うのかが僕にとっては大切。そこの土台さえしっかりできていれば、現場でどうにでもなるんですよ。その土台なしに現場で役者同士がぶつかって良い物を作っていく…といった考え方は僕の中には一切ないんです。そこからは何も生まれないと思っているので。

役とどのくらい向き合ってきたかを
見られるんですね。

では、監督として楽しさを感じる時と
きつさを感じる時を教えてください。

作っている時に楽しさを感じることは一個もないな~(笑)。じゃあ、なんでやっているんだって話なんですけれど(笑)。僕らは自主製作映画を作っているわけではないので、作品を面白くするためのプレッシャーや興行といった部分のプレッシャー、いただいた予算に見合った働きをして無事に作品を作り上げないといけないというプレッシャーなど、本当にプレッシャーを感じる瞬間だらけなんです(笑)。ただ、作品が公開した後に「面白かったです」などの声をいただける瞬間は嬉しいですね。

監督・三木康一郎
使い込まれた台本カバーと現場で使用しているヘッドフォン。「今日、眼鏡屋に行ったんですよ」と、たくさんのサングラスを笑顔で見せてくれた。

完成まで、そして公開後も
闘うことだらけなんですね。

そのプレッシャーに耐えて
監督を続けてこられた源はなんだったんですか?

「これは仕事だ」という気持ちですかね。僕、映画監督を趣味のようにやっていくのは絶対に嫌なんです。完全に仕事だと思っているからこそやれているのだと思います。あとは若い頃からプレッシャーを感じる世界で生きてきたのも耐えられた理由のひとつな気がしますね。23歳の頃からテレビ番組の演出をずっとやっていたんですけれど、演出家として入っているからには楽しい物を作り続けないといけないし、視聴率で結果を出し続けないといけないわけですよ。そういったプレッシャーを感じて生きてきた延長線に現在がある、といった感じです(笑)。

23歳という年齢でテレビ業界で結果を出す
もう、それ自体がすごいと思います。

噂では聞くと思うんですけど、当時のテレビ業界ってものすごく厳しい世界だったんです。ただ、裏を返すと“面白いものを作ったらすぐに認められる”という時代でもあって。なので、若いとか年齢が上だとか関係なく「面白いものを作れる人にはこれをやらせよう」と、結果に殉じて任せてもらえることが多かったんですよね。面白いものを作れる人がいろんなコンテンツをどんどんと作っていけるテレビの時代だったんです。

監督・三木康一郎

いま、三木さんのような
「〈表現者〉になりたい」と思っている方へ
伝えたいことはありますか?

僕は表現者になろうとしたら2つに分かれると思っていて。自分の表現したいことだけを追求していくパターンと、表現を仕事としてやっていくパターン。この2パターンのどちらを選ぶかで変わってくると思うんですけど、僕自身はどちらかというと後者なので、自分のやりたい表現を仕事として成り立たせたい人へのメッセージを言いますね。まず、自分のやりたいことを表現してお金をもらうということはものすごく難しい仕事です。そしてそれができる人は本当にごく一部。世の中にごまんといる「これを表現して仕事をするんだ!」と思っている人たちの中で勝ち残っていくということは、同じ夢を見ている人たちの何十倍も熱量をかけないといけないですし努力をする必要があるんです。そこには強い覚悟が必要かな、と思います。

ごまんといる人たちの中で
這い上がっていかないといけないわけですもんね。

そう。あと、表現をする仕事って「自分の思っていることを伝えれば、みんなが分かってくれる」と思われがちなんですけれど、それは絶対に違っていて。表現というのは“たくさんの人がどう思うか”を常に見続けることなので、自分が思っていることだけを表現する人は表現者ではないと僕は思うんです。たくさんの人が「こういうことを観たい、これが面白い」と思っていることを自分なりに落とし込んで見せていくのが、僕の思う“表現”であり“仕事”。「表現者になりたい」と思っている若い方には、いま一度自分の思っていることなんて「たいしたことない」と認識して欲しいと思います。たいしたことのない想いをたくさんして、もっといろんな人に目を向けて、そこで感じたものを人よりも何十倍も頑張って自分に落とし込んでいくことに注力して欲しいですね。

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三木康一郎(51)

みき こういちろう

1970年12月7日生まれ。
“0”から描かれた“1”の世界へのリスペクトを大切に、
複層的な〈声〉を傾聴しながら“100”の映像を生み出すDOER

Staff Credit
カメラマン:眞弓知也
インタビュー・記事:満斗りょう
ページデザイン:吉田彩華