DOER・小関裕太の〈作り出す〉話

小関裕太×PLASTICITY
小関裕太×PLASTICITY

役者として〈表現〉を届けられている
小関さんですが、

そういった活動の中で
大切にしている軸を教えてください。

完成されたドラマや映画、CMなどの作品が持っているパワーやエネルギー、コンセプトに「好き」の重点を置く方もいらっしゃると思うんですけど、僕はそこに至るまでの〈過程〉もすごく好きなんです。どういった想いでこの作品が生まれたのか、や、考え方のルーツ、「こんな苦しい想いがあって完成したんです」といったところまで聞くことによって、僕自身が背中を押されるんですよ。すごくストイックな方と飲みに行ったりすると「明日も頑張ろう!」と思えますし、その人が持っている〈背景〉に魅力を感じるんですよね。そういった意味で、何事も〈過程〉を大切にしたいと考えています。

小関裕太×PLASTICITY

作品ひとつにしても、
そこに携わるいろいろな方の〈過程〉を聞いて
表現に繋げることが多いんですか?

どういった失敗をしてきたのか、どんなふうに限られた時間で作品を組み立てていったのかを含めて「この短時間でよくできたな~!すごいな、僕も頑張ろう」と思わせてくれて、背中を押してくれるような方が周りにすごく多いので、自分もそんな風に思っていただけるような人になれたらいいな、と思って〈表現〉をしています。気づいたら勝手に背中が押されている、そんな人素敵だなって。

そうして表現してきた、これまでの役たちは
小関さんにとって
どんな存在で、どんな距離感にある人ですか?

「この子は」といった感じかもしれないです。例えば『来世ではちゃんとします』の松田くんの話をするとしたら「松田くんは、こうだからこういう子で~」という話し方をする気がしますね。

小関裕太×PLASTICITY

自分とは違う人間を体現する〈役者〉。
そこに生まれる自分との差のバランスを、
撮影中どのようにとられていますか?

作品によってオン・オフ具合が結構違うタイプなんです。どんなに暗い作品でも、現場と家とを変えた方が楽な時と、変えないで緊張感をずっと保っていた方が安心感がある時とがあって。感覚的な話なんですけど、一度役から抜けてしまうと「もう戻れない」と思う時もありますし、その時々の自分のコンディションによってもだいぶ違いますね。お芝居を始めた小学2、3年生から高校生ぐらいまでは、割とどっぷりと役に浸かっていないと集中力がもたない気がして、家でも〈役〉であり続けていました。「○○くんでありながら、小関裕太でもある」といった感覚が強かったのを覚えています。

その当時は口調なども役に引っ張られたり?

今はなくなったんですけど、まだ自分自身でも自分のことが分からない年齢の時は、役に入りこみ過ぎていた気はしますね。19歳の時に『ごめんね青春!』というドラマで心が女性で身体が男性のトランスジェンダーの役を演じたことがあったのですが、その時期は女の子を意識した生活になっていましたし、役に共鳴しすぎて役が恋をする男の子に対して「これは憧れなのか?恋なのか?何なのか?」と思う時期もありました。自分探しをしている時期だからこそ、自分の中に全ての可能性が見えていたんです。僕、意外と入り込みすぎて引きずる時期って好きだったんですよ(笑)。ただ、そういった時期から抜けたキッカケが明確にあって。

小関裕太×PLASTICITY
小関裕太×PLASTICITY

そのキッカケは何だったんですか?

一日に3人の役を演じないといけない時期があったんです。それまでと同じように役柄一人ひとりに引きずられていたら、次の現場のスタッフの方に迷惑をかけてしまいますし、僕自身も100%の力が発揮できなくなってしまうと思って。その時期の環境が“入り込みすぎていた自分”を変えたキッカケだったと思います。

一日に3人の役を演じる…
とても想像がつかないです。

21歳ぐらいの頃かな、すごく大変な時期があったんです。僕が技術物(バスケや殺陣など技術を要する役柄)と呼んでいる、役の準備がいくつか重なりながら、撮影中の映画と事務所の『ハンサムライブ』が被った時期があって。その上、私生活でもバタバタすることが重なってしまって…。その時、ふと感情が無になったんですよ。それを経てから器用に切り替えがパッとできるようになったんです。無事にいろいろ乗り越えられましたし、自分が生きやすい在り方に気づけたので結果的には良かったんですけど。環境によって僕自身が変わったタイミングでしたね。