「知らなかった」を
知りながら生きてゆく私たちへ

-INTRODUCTION-
1960年代後期、東京オリンピックや大阪万博で沸く高度経済成長期の日本。国際化に向け売春の取り締まりを強化する中、性別適合手術(*当時の呼称は性転換手術)を受けた通称ブルーボーイたちを一掃し街を浄化するため、検察は手術を行った医師を逮捕。手術の違法性を問う裁判には、実際に手術を受けた証人たちが出廷した。かつて実際に起きた“ブルーボーイ事件”に衝撃を受け、映画化を決意したのは、『僕らの未来』(11)、『フタリノセカイ』(22)、『世界は僕らに気づかない』(23)など、トランスジェンダー男性であるというアイデンティティを反映した独創的な作品作りで国内外から大きな注目を集める期待の若手、飯塚花笑監督。当時の社会状況と事件について徹底的に調査し、裁判での証言を決意したトランスジェンダー女性サチを主人公に物語を構想した。
その渾身の企画に惚れ込んだのが、『深夜食堂』シリーズをはじめ、『アヒルと鴨のコインロッカー』(07、中村義洋監督)、『岸辺の旅』(15、黒沢清監督)、『月の満ち欠け』( 22、廣木隆一監督)など数々のヒット作を手がけてきた映画プロデューサーの遠藤日登思。飯塚監督らと何度も脚本の改訂を重ねながら、オリジナル作品として本作を完成させた。
-STORY-
1965年、オリンピック景気に沸く東京で、街の浄化を目指す警察は、街に立つセックスワーカーたちを厳しく取り締まっていた。ただし、ブルーボーイと呼ばれる、性別適合手術[*当時の呼称は性転換手術]を受け、身体の特徴を女性的に変えた者たちの存在が警察の頭を悩ませていた。戸籍は男性のまま、女性として売春をする彼女たちは、現行の売春防止法では摘発対象にはならない。そこで彼らが目をつけたのが性別適合手術だった。警察は、生殖を不能にする手術は「優生保護法」[*現在は母体保護法に改正]に違反するとして、ブルーボーイたちに手術を行っていた医師の赤城(山中 崇)を逮捕し、裁判にかける。同じ頃、東京の喫茶店で働く女性サチ(中川未悠)は、恋人の若村(前原 滉)からプロポーズを受け、幸せを噛み締めていた。そんなある日、弁護士の狩野(錦戸 亮)がサチのもとを訪れる。実はサチは、赤城のもとで性別適合手術を行った患者のひとり。赤城の弁護を引き受けた狩野は、証人としてサチに出廷してほしいと依頼する。今の生活を壊したくない、と証言を拒んだものの、赤城の逮捕で残りの手術ができなくなり途方に暮れるサチ。新たな医師を探すうち、彼女はかつて働いていたゲイバーでの同僚アー子(イズミ・セクシー)と再会。自分のバー「アダム」を開く夢に奔走するアー子は、すでに裁判での証言を決めていた。一方、ブルーボーイたちの元締めとして働くメイ(中村 中)も証人を引き受けるが、彼女はこんな裁判は茶番だとバカにする。ついにアー子が証言に立つ日がやってきた。手術の正当性を証明したい狩野は、アー子たちは「性転換症という精神疾患」を抱えた人々であり、手術はその治療の一環であると主張。その言葉にアー子は猛然と怒り、自分は「女として普通に生きたいだけ」だと声を荒げる。そんなふたりを、傍聴席のサチは不安げに見つめていた。
伊藤さとり’s voice

「あなたのことは知らない」とあえて書くSNSを最近よく見かける。それは失礼なことであり、相手を傷つける為に書いているとしか思えない。今やネット社会なのだから名前を調べることである程度の情報は入手できるのだから、調べないことの方が恥ずかしいのに堂々と書けてしまう人の愚かさよ。そう考えると、「知ろうとすること」が人間の器を大きくする一番の学びである事に、気づいている人はどれくらい居るのだろうか。
私は、恥ずかしながら「ブルーボーイ事件」という事件を知らず、本作によって彼女達の尊厳と未来を懸けた勇気ある行動を知り、知らなかった自身を恥、涙が止まらなかった。
今より更にLGBTQ +に理解が無かった1960年代。周囲に女性として認識され、静かに生きているトランスジェンダー女性が、性別適合手術を行う医師を無実にすべく、証言台に立った事実を元に作られた映画『ブルーボーイ事件』。もし性別適合手術が違法となれば、心と身体を一致させることが出来ない人が今後増えてしまう。自分と同じ状況の人を思う気持ちがあったとしても、カミングアウトをすれば今の生活が脅かされるかもしれない。そんな恐怖に打ち勝つまでに、一体、彼女の身に何があったのだろうか。
この映画を製作する際、飯塚花笑監督は当事者俳優でのキャスティングにこだわった。飯塚監督自身もトランスジェンダー男性であると公表し、前作『フタリノセカイ』(2021年)では、トランスジェンダー男性を坂東龍汰に演じてもらっている。以前のインタビューでは、トランスジェンダー俳優が少ないこと、演技の素晴らしさもあり坂東龍汰をキャスティングしたと語っていたが、今回の映画ではそのリスクを承知で挑み、事務所はもちろん、友人知人にも声がけをし、オーディションを敢行。結果的に演技経験初となる中川未悠を始め、当事者役は全員が当事者俳優というキャスティングが叶ったのだ。では何故、そこまでこだわったのか。それには確固たる理由がある。
それは法廷での証人尋問でのシーンをリアルにする為に必要であり、魂の叫びをスクリーンに映そうというものだった。実際にその当時、屈辱的な質問も投げかけられたそうで、それは映画にも映し出されている。更にトランスジェンダー俳優をスクリーンに焼き付けることで、様々な人が存在することを多くの人に知ってもらえるという思いもあったそうだ。
そういったこともあり、まさに映画史に残る作品でもある本作なのだが、これはトランスジェンダーの人だけの事件でも問題でもない気がした。実は「偏見」や「差別」を受けたことがある人、「搾取」されたことがあるすべての人に当てはまる問題なのだ。映画の中で心無い言葉を浴びせられる彼女達は、誰にも迷惑をかけていない。日々の生活を楽しむことを大事にしているだけなのに、赤の他人が彼女達を排除しようとする。何故、誰も傷つけていないのに、一方的に傷つけられるのか。劇中、胸が締め付けられるシーンが何度もあるが、そこで感じるのは理不尽な目に遭う彼女達を案じる思いと、自分とは違う人間を嫌う無知で弱い人々への怒りだった。でもこの怒りは自分達にとっては大切。自分もそんな人間にならないように、映画から様々な感情を教えてもらい、愚かな人の姿を見て過ちに気づかなければいけない。人を知ることは世界を良くする。すごくシンプルなことだった。
映画『ブルーボーイ事件』
2025年11月14日(金)公開
出演:中川未悠、前原滉、中村中、
イズミ・セクシー、真田怜臣、六川裕史、泰平
渋川清彦、井上肇、安藤聖、岩谷健司、
梅沢昌代 / 山中崇、安井順平 / 錦戸亮
監督:飯塚花笑
配給:日活 / KDDI



