様々なモノを手にして生きる私たちへ
-Introduction-
第72回ベルリン国際映画祭 金熊賞(最高賞)受賞
カタルーニャで桃農園を営む大家族に突き付けられた、
まさかの立ち退き命令。
変わりゆく世界のしくみと、変わらない家族の絆の物語。
少女の特別な夏を描いた初の長編監督作『悲しみに、こんにちは』がベルリン国際映画祭で最優秀新人作品賞とジェネレーション部門グランプリを受賞したカルラ・シモン。眩いばかりの新しい才能の登場に映画界は歓喜した。長編2作目となる『太陽と桃の歌』はスペインのカタルーニャを舞台に、伝統的な家族経営の桃農園が、ソーラーパネルに取って代わられるという世界中で起こっている自然と人間の問題を描き、ベルリン国際映画祭に凱旋するや見事金熊賞に輝いた。世界各地で56の映画祭やアワードに受賞&ノミネートされた話題作が、遂に日本公開となる。
-Story-
桃の香りの風に吹かれて、最後の夏が始まる
カタルーニャで、三世代に渡る大家族で桃農園を営むソレ家。例年通り収穫を迎えようとした時、地主から夏の終わりに土地を明け渡すよう迫られる。桃の木を伐採して、代わりにソーラーパネルを敷き詰めるというのだ。父親は激怒するが、妻と妹夫婦はパネルの管理をすれば「楽に稼げる」という囁きに心を動かされていく。賭け事に懸ける祖父、取り付く島のない父、畑の片隅で大麻栽培を始める長男など、てんでバラバラに桃園の危機を何とかしようとするが、大げんかが勃発。一家に大きな亀裂が入ったまま最後の収穫が始まろうとしていた…。カタルーニャの広大な大地と豊かな実り、煌めく夏の空と吹き抜ける風が余すところなく映され、リアルな家族のやり取りに時に笑わされ時に目頭が熱くなる。急激な時代の変化に晒される家族の絆を通して、世界の未来を問いかける心震えるヒューマンドラマ。
伊藤さとり’s voice
瞬く間に変化する世界。気づけばスーパーはショッピングモールに、駅は駅ビルに、みかん園は駐車場に、と考えるならば進化という言葉が正しいかもしれない。それは生活環境が整っているとも取れるが、そこに住んでいると突如、自然が恋しくなり緑豊かな地へと私達はバカンスへと出かけるのだ。緑が少ないと嘆くのは自由だが、ではいったい誰が、環境を変えているのか。それをベルリン国際映画祭金熊賞(最高賞)を受賞したスペイン・カタルーニャの映画『太陽と桃の歌』は、ある家族の物語として私達に囁くように教えてくれる。
桃農園を三代に渡り営むソレ家は、桃の買い叩きで経営難に苦しむ中、地主から土地の明け渡しを求められる。それがダメならば、ソーラーパネル管理をすれば住んで良いと持ちかけられるのだ。物語の主人公は大家族だ。となれば家長が決定権を持つだろうと思いがちだが、土地となれば親族も口を出せる。更に問題となっているのは、土地の権利が祖父と先代の地主の間であやふやになっていたことだ。
映画は環境破壊という社会問題をファミリードラマとして描いたカタルーニャ出身のカルラ・シモン監督によるオリジナル脚本だ。本作が皮肉なのは、桃農園の代わりに、二酸化炭素の排出が少ないことでエコ、省エネ対策にもなると言われるソーラーパネルを設置するという点だ。実は環境保護の為のシステムと言われるものが、自然破壊を招いていると冒頭のシーンで明かされる。それは子供達が緑豊かな地で遊ぶ横で、ショベルカーが撤去を始めている光景だった。更に桃農家が桃の価格下落により経営難に陥って抗議運動をするシーンを見ると、大型スーパーで安価で売られる桃に喜ぶ自分達である消費者と対照的な表情だと気付かされるのだ。
ただし映画はその問題だけでは終わらせない。金銭や土地の奪い合いにより、人間関係に亀裂が入るという問題は幾度となく物語で語られてきたが、本作では、さらに一歩踏み込んで、子供の感情にも影響を及ぼすと綴っている。苛立つ父親に自分の存在を認めて欲しい長男のある行動、家族間のいざこざから感情が不安定になっていく長女。そんな未来を担う子供達の感情や社会にも、決定権を持つ大人達が影響を及ぼしてしまうのだ。
社会とは地続きであり、たった一人の権力者の思いつきにより、ある人は窮地に追いやられ、ある人は幸せを手にし、それぞれの未来が変わっていく。そう考える中で、ふと今年の大ヒット日本映画『ラストマイル』を思い出した。作品の舞台となる国も脚本の構成も違うが、描こうとしている根底は同じなのだ。自分達が楽をして手に入れているものの原点はどこなのか。この映画『太陽と桃の歌』ならば、桃の収穫を終え、桃の瓶詰めを作っている大家族の姿が楽しげで美しかったし、いつまでも眺めていたい光景だった。