【佐藤寛太】舞台『サンソンルイ16世の首を刎ねた男あの日のパリを生きるそれは、約250年前の青年との〈共鳴〉を探る旅

佐藤寛太

舞台
『サンソンルイ16世の首を刎ねた男
あの日のパリを生きる
それは、約250年前の青年との〈共鳴〉を探る旅
&4つのDOER’s Questions

私たちは、いつの時代も積み重ねられた歴史を〈表現〉してきた。それは時代を繋げてゆくため、今日に繋がる歴史に感謝を示すため、当時を生きた人々へのリスペクトを表すため――知らない時代を生きた[彼][彼女]の命を舞台上で生きる時、役者たちはどのようにして歴史のベールを解いてゆくのか。それぞれの解き方が存在するなかで「自分のなかにあるもので臨みたい」、そう言葉にした佐藤さん。約250年前と現代(いま)とが共鳴する時、私たちの前にあの日のパリが姿を現す。

舞台
『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』

-Story-

1766年、フランス。その日、パリの高等法院法廷に一人の男が立っていた。彼の名はシャルル=アンリ・サンソン(稲垣吾郎)。パリで唯一の死刑執行人であり、国の裁きの代行者“ムッシュー・ド・パリ”と呼ばれる誇り高い男だ。市中で最も忌むべき死刑執行人と知らずに、騙されて一緒に食事をしたと、さる貴婦人から訴えられた裁判で、シャルルは処刑人という職業の重要性と意義を、自ら裁判長や判事、聴衆に説き、勝利を手にする。父・バチスト(榎木孝明)の仕事を受け継ぎ、処刑人としての使命、尊厳を自ら確立しつつあったシャルル。おりしもルイ15世の死とルイ16世(大鶴佐助)の即位により、フランスは大きく揺れはじめ、シャルルの前には次々と罪人が送り込まれてくるようになる。将軍、貴族、平民。日々鬱憤を募らせる大衆にとって、処刑見物は、庶民の娯楽でもあったが、慈悲の精神を持つシャルルは、自身の仕事の在り方に疑問を募らせていく。そんなある日、蹄鉄工の息子ジャン・ルイ(佐藤寛太)が、恋人エレーヌ(清水葉月)に横恋慕した父を殺める事件が発生。その死は事故によるものだったが、「親殺し」の罪は免れず、ジャン・ルイは車裂きの刑を宣告される。しかし、職人のトビアス(崎山つばさ)、のちに革命家となるサン=ジュスト(池岡亮介)ら、彼の友人たちは、刑場からのジャン・ルイ奪還を目論み、成功する。この顛末を目の当たりにしたシャルルは、いっそう、国家と法、刑罰のあり方について、思考を深めることとなる。さらに、若きナポレオン(落合モトキ)、医師のギヨタン(田山涼成)ら、新時代のキーマンとなる人々とも出会い、心揺さぶられるシャルルがたどり着いた境地とは――。

-ジャン=ルイ・ルシャール/佐藤寛太-

恋人エレーヌをめぐる事情から父親を殺害。
死刑を宣告されてしまう。

佐藤寛太

稲垣吾郎さんとのお稽古はいかがですか?

ずっとテレビ越しに観てきた方とご一緒できてとても嬉しいです。僕が画面の向こうの吾郎さんに感じていたイメージよりも、ずっと穏やかで物腰の柔らかい方でした。分け隔てなくお話してくださいますし、話しやすい空気感を出してくださって、稽古場を居心地のいい空間にしてくださっています。

では、佐藤さんが楽しみにされていた、
白井晃さんとのお稽古はいかがでしょうか?

以前、白井さんとご一緒させていただいた音楽劇『銀河鉄道の夜 2020』の時と同じことを言われていて、白井さんの演出を学べているのか分からないのですが(笑)、前回同様、たくさんのことを教えていただいています。白井さんから聞いて、特に体感した教えは「感情で突っ走るのではなく、感情をグッと丹田に押し下げて、足から動け」という言葉。舞台は映像と違ってカット割りやカメラワークがないので、舞台上に立つ役者同士が、「誰をどのタイミングで芝居の中心に持ってくるのか」を考えて動きながら演出をしないといけないんです。それなのに、感情の高ぶりだけで突っ走ってしまったら周りを置いていってしまう。「なるほど」と思いながら、その教えを稽古でも実践しています。

佐藤寛太

佐藤寛太

台本を読んでいた時、立ち稽古が始まった今、
見えていたものに変化はありましたか?

だいぶありました。毎日反省しまくっているのですが、それもすごく楽しくて。舞台は一日で本番を迎えるものではなく、キャスト全員で長い時間をかけて作り上げていくものなので、自分の想像していたものとまったく違う動きや印象を共演者の方から受けることもあって。その動きや印象を感じて、自分の想像していたものにさらにプラスしてゆく。稽古では、そんな風にジャン・ルイの動きやバリエーションを増やしていっています。

ジャン=ルイ・ルシャール × 佐藤寛太

ちょうど今日、「今まで一緒に暮らしていた友人や彼女や知り合いが、街全体を巻き込んで、毎日議論をしていたらどうする?」と話していたんです。作品に描かれている時代のように、若い頃から抑圧されて育ってきたら、「ここで時代を変えなきゃ!」と動き出す気持ちも分かるのですが、いざそれを現代に置き換えてみると、“声をあげること”って、単純に見えて実はすごく難しいことなんじゃないかと感じました。世の中ってやっぱりそんな簡単に変わるものでもないと思いますし、何かを変えようとしてひとつのものに抗議をしても、そのひとつが解消されたところで〈変化〉まで起こることってほとんどないと思うんです。そういった意味では、僕はまだジャン・ルイたちと共鳴しきれてはいないな、と。ただ、産業、例えば映画やテレビなどのエンタメ業に対しての「若い勢いで盛り上げていきたい、変えていきたい」という想いは、彼らと通ずるものがあるんじゃないかな、と思っています。僕は「別の自分になりきる」といった感覚でお芝居をするのではなく、自分の中にあるもので役を築いていくタイプなので、本番までに自分の中からジャン・ルイに繋がるものを出していけるよう頑張ります。

佐藤寛太

Dear LANDOER読者
From 佐藤寛太
舞台
『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』

いま、カーテンコールの時にしっかりと胸を張って、舞台を観に来てくださった皆さんを見ることができるように稽古を頑張っているところです。舞台って正直チケットが安いものではないですし、移動時間を含めて拘束時間も取られるものだと思うんです。でもその分、そこでしか味わえないような感動やエンターテインメントが存在するのも舞台の魅力。チケットを購入してくださった皆さんが「支払ったお金と時間を差し引いても、今日はすごい体験ができた」と思っていただけるよう、精一杯ジャン・ルイを演じていこうと思います。そして、そういった体験を生みだす作品が白井さんの演出であれば必ずできると思うので、この舞台に立てることに幸せを感じながら、皆さんと同じ時間を過ごせる日を楽しみにしています。