「手の届かないあの人」を愛する貴方へ

-INTRODUCTION-
歴史ノンフィクションの傑作『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(かげはら史帆著/ 河出文庫刊)、実写映画化!脚本は、ベートーヴェンの面白さに魅せられたバカリズム。本作では原作を丁寧に紐解きながら、斬新なアイデアを加えて脚本化。監督は音楽を用いた映像演出に定評のある関和亮。ベートーヴェンへの愛が重すぎる、忠実なる秘書・シンドラーには山田裕貴。そして、シンドラーから熱烈に敬愛されるベートーヴェンには古田新太。ほか、個性豊かな実力派キャストが大集結。音楽史上最大のスキャンダルをベートーヴェン珠玉の音楽にのせてバカリズムが紡ぐ、まさかの実話!?が、この秋スクリーンに登場します。
-STORY-
耳が聞こえないという難病に打ち克ち、歴史に刻まれる数多くの名曲を遺した、聖なる孤高の天才・ベートーヴェン(古田新太)。しかし、実際の彼は――下品で小汚いおじさんだった…!?世の中に伝わる崇高なイメージを“捏造”したのは、彼の忠実なる秘書・シンドラー(山田裕貴)。彼の死後、見事“下品で小汚いおじさん”から“聖なる天才音楽家”に仕立て上げていく。しかし、そんなシンドラーの姿は周囲に波紋を呼び、「我こそが真実のベートーヴェンを知っている」、という男たちの熾烈な情報戦が勃発!さらにはシンドラーの嘘に気づき始めた若きジャーナリスト・セイヤー(染谷将太)も現れ、真実を追求しようとする。
シンドラーはどうやって真実を嘘で塗り替えたのか? 果たしてその嘘はバレるのかバレないのか―― ?

伊藤さとり’s voice

音楽室に飾られている肖像画。そこで覚えるベートーヴェン、シューベルト、バッハ、モーツァルトなど作曲家の顔。そもそもこの絵は楽器購入時のおまけだったそうで、旧文部省が教材基準に指定したことで学校の音楽室に飾られていたという。
その中のひとり、険しい顔のベートーヴェンを“もし日本人が演じるならば”と考えた時に真っ先に思い付くのは間違いなく古田新太だろう。このキャスティングが決まった時点で、西洋の物語を東洋の俳優が演じることも含めて、コメディになるとしか思えないのだが、映画はそこに人間の心理を織り交ぜ、ベートーヴェンのイメージを作り上げようと奮闘するある男の感情に焦点を当てたのだ。
原作はかげはら史帆のノンフェクション「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」。この実話の主人公となるのは、ベートーヴェンの秘書だったアントン・フェリックス・シンドラーだ。ベートーヴェン亡き後にベートーヴェンの伝記を何冊も出版し、ベートーヴェンの名言を広めた男が犯した罪は聴覚を失った彼との会話帳捏造。でも何故、シンドラーはそんなことをしてしまったのか。一見すると悪者であるこの人物を映画の主人公にするならば、観客が親近感を持つ俳優が演じなければ、物語に深みが出ない。犯した罪は重いがどこか憎めない人物、という難役を演じられる俳優は、コメディもシリアスも自在に演じられる山田裕貴というのも納得しかなかった。
しかも面白いことに山田裕貴は劇中、ひとり二役を演じている。これがバカリズム脚本ならではなのだが、物語の入り口を中学校の音楽室に設定して、山田裕貴演じる音楽教師がひとりの生徒にベートーヴェンとシンドラーの関係を教えるべく語り始める部分を付け加えたのだ。お陰で19世紀のウィーンという多くの音楽家が登場する内容でも、分かりやすいナレーションも相まって、それぞれの人物が何者なのか認識しやすい。更に彼らの性格を行動や言動だけで伝える丁寧な脚本により、私たちの日常で繰り広げられる権力に寄り添う人々の椅子取り合戦のような人間ドラマになっているので、好奇心が持続するのだ。
そんな映画は、まさかのシリアスな展開を迎えていく。しかも不思議なことに西洋人を東洋人が演じていることも途中から気にならなくなるほど、物語に入り込んでしまうのだ。その理由は、最先端の技術によるバーチャル背景と19世紀のヨーロッパを感じる質感の美術が生み出した世界観にシンドラーの孤独ながらも強い想いが溶け合っていき、切なささえ味わうのだ。しかしこの題材をエモーショナルな映像で表現できたのは、ひとえに監督・関和亮のセンスとしか思えない。今までも藤井風「燃えよ」や、Vaundy「ホムンクルス」、Mrs.GREEN APPLE「ダーリン」他、多くのアーティストのMVを制作しただけある感情に寄り添った美しい映像を生み出す監督だからだ。ちなみに本作のショパン役にはMrs.GREEN APPLEのキーボードを担当する藤澤涼架というのもそんな繋がりからだろう。
何者かになりたいー。
この思いは昔も今も変わらず、人の心の奥底にあるものだ。それは憧れていた存在が近くなった際に、より色濃く出てしまうのかもしれない。それだけでなく、その人のことを自分が一番知っていると思い込んでしまうのも、ある種の愛なのかもしれないし、「あの人がそんなことをするはずがない」という盲信さも間違いなく愛なのだろう。その点を考えれば、本作が昔の出来事ではなく、現代の私たちに通ずる手に届かないものへの情愛が招いた摩訶不思議な事件であることが理解でき、愛の危険性にも気付かされてしまう。
映画『ベートーヴェン捏造』
2025年9月12日(金)全国公開
出演:山田裕貴 古田新太
染谷将太 / 神尾楓珠 前田旺志郎 小澤征悦
生瀬勝久 小手伸也 野間口徹 遠藤憲一
脚本:バカリズム
監督:関和亮
原作:かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(河出文庫刊)
配給:松竹
