「何者かにならなければ」
そう感じたことがある貴方へ
-Introduction-
監督 熊切和嘉 × 主演 菊地凛子
東京から青森へ、明日正午が出棺。
父親の葬儀にも、人生にも何もかも間に合っていない―
それでも陽子は初冬の東北を行く。
夢やぶれて20数年。引きこもり孤立をしていた42歳の陽子は、長年断絶していた父親の葬儀のために、郷里の青森県弘前市に渋々帰ろうとする。しかし、あろうことかヒッチハイクをする羽目に…。孤独に凝り固まる陽子を演じる菊地凛子は、『バベル』(06)で米アカデミー賞®助演女優賞にノミネートされ、その後も『パシフィック・リム』シリーズ等ハリウッドをはじめ海外作品に数多く出演する日本を代表する国際派女優。本作で初めて日本映画の単独主演を飾り、引きこもり生活から外に出て、久しぶりに他人と関わることで長年の自分への後悔を露わにしてゆく繊細な難役を見事に表現。竹原ピストル、オダギリジョーをはじめとする豪華キャストに支えられ、切ないまでの生きる痛みと躊躇い、そして絞り出す勇気を熊切監督と共に渾身の力で表現している。就職氷河期世代の中年期、その定まらない人生というだけではない、他人との密な関係を作らず生きることが当たり前の今、孤独と孤立に凍った心が溶けていく様に、誰もが自らや知人を思い起こして心を揺さぶられるロードムービーが誕生した。
-Story-
42歳 独身 青森県弘前市出身。人生を諦めなんとなく過ごしてきた就職氷河期世代のフリーター陽子(菊地凛子)は、かつて夢への挑戦を反対され20年以上断絶していた父が突然亡くなった知らせを受ける。従兄の茂(竹原ピストル)とその家族に連れられ、渋々ながら車で弘前へ向かうが、途中のサービスエリアでトラブルを起こした子どもに気を取られた茂一家に置き去りにされてしまう。陽子は弘前に向かうことを逡巡しながらも、所持金がない故にヒッチハイクをすることに。しかし、出棺は明日正午。北上する一夜の旅で出会う人々―毒舌のシングルマザー(黒沢あすか)、人懐こい女の子(見上愛)、怪しいライター(浜野謙太)、心暖かい夫婦(吉澤健、風吹ジュン)、そして立ちはだかるように現れる若き日の父の幻(オダギリジョー)により、陽子の止まっていた心は大きく揺れ動いてゆく。冷たい初冬の東北の風が吹きすさぶ中、はたして陽子は出棺までに実家にたどり着くのか…。
伊藤さとり’s voice
「私は何者でもない」そんな相談を受けることがある。その時に思うのは、「あなたは誰かの大切な存在」であるということ。親になって気づいたのは、「生きてさえ居てくれればそれでいい」であり、親からレールに乗せられることもなく「自分の足で生きていけよ」と言われて育ったから「何者かになろう」と思わずに、せめて好きなことで食べて行けるよう生きて来たのかもしれない。この感情を思い起こさせてくれたのが、映画『658Km、陽子の旅』だった。
主人公の陽子は42歳で就職出来ないままフリーターとして生きる独身女性。ある時、20年以上断絶していた父親が亡くなったと聞き、従兄家族の車で故郷の青森県弘前市へと向かうのだが、途中、離れ離れになってしまう。所持金もなくヒッチハイクで目的地へと向かう陽子は、様々な人との出会いを通して自分が目を背けていたことに気づいていくのだ。
何故、陽子は父親と長い年月断絶していたのか?それは彼女の夢への挑戦を父親が反対したのがきっかけではあるけれど、映画を観ていると陽子は父親が大好きだったから愛憎に変わったのではと読み取れる。「自分は何者でもない」と呟く陽子は、もしかしたら親の期待に応える為に「何者かになりたかった」のかもしれず、結婚もせずに仕事で成果を上げることもなく生きている自分に劣等感を持っているように、菊地凛子の演技で見えてくるのだ。
旅の途中で様々な出会いがあり、彼女の中で小さな変化が生じ始める。もしかしたらこの行為は偽善なのでは?と感じる年上の女性や、自分の弱みに漬け込んで取引をする男性、かたや裏表なく優しい心を持つ夫婦から「自分を過小評価」してはいけないと学んでいくのだ。この巧みなストーリーの構築から「TSUTAYA CREATOR’S PROGRAM 2019」脚本部門・審査員特別賞を室井孝介が受賞。それを『私の男』などの熊切和嘉監督が映画化した本作。
「何者かになる」という呪縛は、どこから生まれるのか?「結婚しなければいけない」「一流企業に入らなければ一人前とは言えない」という囚われは一体、誰が生み出したのか?さらにはSNSで「いいね」の数を多くもらうことで、自己肯定感を得る社会構造の闇は誰が作ったのか?この全ては目に見えないもので、大人達が生み出した「勝手な偏差値」でしかない。言うなれば、生まれた時点ですでに何者かなのだ。人と比較する必要なんてない。本作に登場するボランティア活動からやりがいを見出した人や、田舎暮らしで夫婦水入らず笑顔で生きているような人はきっとSNSに姿を見せない。「アナタが幸せだったらそれでいい」そう言ってくれる人がいる時点で、もう「その人の特別な存在になっている」のだから。誰かが勝手に作った社会の偏差値に囚われずに「小さな好きなこと」を見つけてなるべく笑える人生を送る、それが本来の幸せなんだと映画は伝えているようだった。
映画『658㎞、陽子の旅』
2023年7月28日(金)
ユーロスペース、テアトル新宿他、全国順次公開
出演:菊地凛子 竹原ピストル 黒沢あすか 見上愛
浜野謙太 / 仁村紗和 篠原篤 吉澤健
風吹ジュン / オダギリジョー
監督:熊切和嘉
脚本:室井孝介 浪子想